「椿の堕ちる日 第一幕 ― 秘恋 ― 夕蛾編」
発売記念ショートストーリー

――――その“病”の噂は、大戦末期にはじまった――――。

敗戦の後またたくまに復興を遂げた首都。
そこには、さまざまなものが横行していた。
オカルトじみたカストリ誌や怪しげな勧誘。
舞い飛ぶ札束、けたたましい嬌声。
発展という光が落とす影のなかには、有象無象が入り乱れる。

その“病”の噂もまた、そうした闇でささやかれていたものだった。

冬のはじめに罹り、春までに死んでしまう不治の病。
病に罹った者の肌には赤い椿の痣が浮かぶという。
まるで、みずからの死を宣告するように。

病の名は“椿病”。

奇術団・明星座に来た少女もまた、椿病に罹ったひとりであった。
のこされた命はたった三か月。
彼女の病を知る者は、少ない――……。


◆◆◆

昭和××年、一月。
奇術団・明星座の長屋では、朝から賑やかな声が聞こえてきていた。

「あのー、餓蛇さん、行長さん、掃除の邪魔なんですけど……?」

掃除道具を持っててきぱきと動くのは手品師の狐毒。
いっぽう、名前を呼ばれた二人の男はこたつに入ったまま動こうとしない。
二人のうち片方である猛獣使いの餓蛇が「だって寒いんだよな」と口を突き出した。

「なぁ行長。お前もそう思うだろう?」

餓蛇に問われ、となりに座る踊り子・行長はこくりとうなずく。

「……うん。寒い。うごきたくない」

「だよなぁ」

「ね」

二人は嬉しそうに頷きあい、ぬくぬくとこたつで丸くなる。
まるで年老いた猫二匹だ。
悪友と称される二人の姿に、狐毒が苦笑を浮かべた。
が、けっして引き下がることはせず。
狐毒は困ったような笑顔のまま言い放った。

「いい年をした男二人で並んで狭くないんですか? すくなくとも俺は見ていて気持ち悪いです」


「な――……!」

「!!」

きっぱりと告げられた暴言に餓蛇と行長が絶句する。
餓蛇が「そこまで言うのかよ!?」と若干涙目で訴えた。
しかし狐毒は心底不思議そうな顔で「そうですか?」と首をかしげる。

「俺は素直に思ったことを言っただけなんですけど」

「余計悪い!!」

おもわず餓蛇が声をあげる。
餓蛇のとなりで、行長がちいさくため息をついた。

「狐毒くんって悪気なく悪態つくよね……」

行長のつぶやきに餓蛇は「まったくだぜ」と口を曲げる。
が、拗ねていたのもつかの間の事で。
餓蛇はすぐに、いいことを思いついたとばかりに悪戯めいた笑みを浮かべた。

「そういうこと言う悪いやつは――――こたつの刑だ!!」

「はい!?」

わけの分からない刑の名に狐毒が目を丸くする。
けれど行長は察した様子で「いいね」と小さく笑って餓蛇にこたえた。
直後。
餓蛇と行長の手が狐毒に伸びる。

「えっ、あの、ちょ、お二人とも、なにするんですか!」

あわてて叫ぶ狐毒に、餓蛇と行長が笑顔で仲良く回答した。

「――狐毒をこたつに引き入れる」

「――狐毒くんをこたつに引き入れる」


綺麗に声を重ね、二人は宣言通り狐毒をこたつに引きずり込む。

「やめてくださいよ、俺は掃除中なんですよ!?」

じたばたと狐毒が四肢をばたつかせるが、行長も餓蛇もやめようとしない。

「まぁまぁ、狐毒くんも一度こたつの魔力に囚われようよ」

「そうだぜ、狐毒! たまにはこういうのもいいだろう?」

行長はめったに見せない微笑を見せ。
餓蛇はいつもどおり豪放に笑いながら。

「いえ、でも、あの――」

「まぁまぁ」

「そうそう」

まじめな狐毒を悪の道へと誘いこもうとした、そのとき。

「――――なにやってンだ? お前ら」


「「「夕蛾さん!」」」


狐毒と餓蛇と行長、三人の声がみごとに合った。


ふすまを開けた明星座の座長、夕蛾は自分の目を疑った。
優秀なはずの部下たちが、狭いこたつでヘラヘラゴロゴロしていたのだ。
夕蛾の秀麗な面持ちに困惑が浮かぶ。
その腕を、横にくっついてきた少年・小蝉が引っ張った。

「ねぇねぇ夕蛾さん、昼間っから遊んでる馬鹿たちは無視してやっぱり買い物は僕たちだけで行きましょうよぉ」

「……たしかに、そのほうがいいかも知れねェな……」

いい年をした男たちが、こたつの周りで何を暴れていたのか。
考えただけで頭痛がしてきて夕蛾は小蝉の言葉にうなずく。

じつは夕蛾は皆を買い物に誘いに来たのだ。
途中、小蝉が夕蛾を探しに来たため先に教えることになったが、順番が多少前後しただけで問題ないと思っていた。なにせ、今日は全員で行くことが目的だったのだから。
それはひとえに、ある少女のため。
夕蛾は彼女を思い、ちいさな声でつぶやいた。

「下手に大人数で行くより“あいつ”も気を遣わねェだろうしな――――」


「俺と小蝉とあいつの三人で行くか」と夕蛾が口に出すより前に。

「「「!」」」


夕蛾の言う“あいつ”。
それが誰を指すのかを察した三人の顔色が変わった。

真っ先に狐毒が「待ってください!」と声をあげる。

「俺は餓蛇さんと行長さんに邪魔されていただけです!
夕蛾さん、彼女と買い物なんですか? なんですよね?
小蝉くんだけじゃ心配です、俺もご一緒させてください!
いえ、小蝉くんが名前の通り小さくて弱そうだからという意味ではなく」


一言多い狐毒の言葉に、小蝉が「どんだけ失礼なのさ!」と声を荒らげる。
が、狐毒はすでに聞いていない。
頭のなかは“彼女”のことで一杯だ。

いっぽう、やはり小蝉の言うことなど聞いていない行長が「待ってよ」と腰を上げた。
ついさきほどまでこたつから出ようとしなかったのに、即座に、である。

「あの子が行くなら、僕も行く。当然のことだよ。
言っておくけど置いて行ったりしたら許さないから。
たとえ夕蛾さんでもね」


美人が怒ると怖いとはよく言ったもので、冴え冴えとした麗容は見るものに恐怖を与える。とても普段は無表情気味な青年とは思えない。
小蝉だけは「ねぇ僕は無視なわけ!?」と騒いだが、誰も聞いていない。
餓蛇が行長に同意を示して「たしかにな」と立ち上がった。

「夕蛾さん、用事なら言ってくれていいんだぜ?
あんたに言われたら俺はなんだってするさ。
なにせ恩人だからな。
ましてや――
――……お嬢ちゃんのためなら、喜んで」


ささやくように言い、餓蛇は気障なしぐさで接吻を投げるふりをする。

「ちょっと!!! そういうの要らないんだけど!?」


小蝉が、ことさら大きな声で餓蛇の前に割り入った。
幼い顔は不機嫌そのままに歪んでいる。

「行長も餓蛇も、さっきまでゴロゴロしてたくせに何なわけ?
ずっとゴロゴロしてればいいのに、あいつと一緒に行くって分かったとたん急に態度を変えるなんてズルくない!? ずるいよ!」


「……俺たちズルいのか? 行長」

「……さぁ」

小蝉の大きな目で睨み付けられ、餓蛇と行長は小声でささやきあう。
狐毒が「あ」と手を打った。

「――もしかして、嫉妬ですか?」

「は、はあ!?」

狐毒の言葉で、小蝉の頬に朱が走る。
図星の証拠だ。誰が見ても分かる。
けれど狐毒は追求の手を緩めなかった。
それどころか、より具体的な言葉で小蝉を追い詰める。

「つまり、小蝉くんは彼女を独占したかったんですね」

「な――――」

小蝉の顔が、一瞬で赤く染まった。

「ばばば馬鹿じゃないの!? 僕はあいつも夕蛾さんも独占できるなんて浮かれてたわけじゃないし! だいたい、あいつのことなんか興味もないしっ」


「おいおい、あからさまだな……」

「ほぼ本心だよね?」

「やっぱりそうですよね」

真っ赤な顔でまくしたてる小蝉に、餓蛇と行長と狐毒がうなずきあう。

「はあ!? なんなのさ、分かったような顔して!」

「いや、たぶん全員分かったぜ?」

「うん。分かる」

「そうですよ。そもそも小蝉はどうして彼女への想いを隠そうとするんですか? どうせ隠せてないんですし無駄だと思うんですが……」

「ななななな」

「狐毒、やめてやれよ……」

「狐毒くんらしいよね。残酷」

「えっ、小蝉に本当のことを忠告してあげているだけですよ???」

「うわぁぁぁぁぁああああ」

「小蝉……がんばれよ……」

「人間ってこんなに朱くなるんだね」


照れて怒る小蝉と悪意無く追い詰める狐毒。
小蝉に同情的な餓蛇と、すべて他人事の行長。
座員たちの会話はとどまるところを知らない。
その様子が、あまりにも微笑ましくて。

「――――ふっ」


ずっと黙って座員たちを見守っていた夕蛾が、たえきれなくて笑いだした。

「夕蛾さん?」

「な、ゆ、夕蛾さんまで笑わないでよ!」


首をかしげる狐毒と泣きそうな小蝉に、夕蛾は「いや、悪い」と詫びる。

「どうしたんだよ、夕蛾さん」

「なにがおかしいの?」

「いや、だって、なァ」

餓蛇と行長に問われ、夕蛾が苦笑をかえした。

「……いつのまにか、あいつがこんなにもお前たちに好かれてるとはな」


「「「「!」」」」


夕蛾の言葉に、全員が無言になる。
笑いながら、夕蛾が続けた。

「路地裏で拾ったあいつを明星座に連れてきたときはどうなることかと思ったが……さすが俺の座員たちだ。お前らがあいつを受け入れてくれて良かったよ」

言いながら、夕蛾は出会ったころの少女を思い出す。

夕蛾が彼女に出会ったのは全くの偶然だった。
暴漢に襲われていた夕蛾を庇って、彼女が飛び出してきたのだ。
無茶をするものだと焦った。
だから、いそいで一緒に逃げたのち、感謝しつつも『下手をすれば死ぬところだぞ!』と叱った。
が、少女から返ってきたのは『死んでも構わない』という言葉だった。
どうせ自分はもうすぐ死ぬから、と――。

病に侵された哀れな少女。
夕蛾が彼女を拾ったのは、命を助けてもらった恩だけではない。
誰にも言えない秘密を、夕蛾は抱えている。
せめて最期の瞬間までは幸せに過ごさせてやろうと思ったものの、まさかこんな風に座員たちが懐くとは思わなかった。
もちろん、夕蛾自身を含めて。

ずいぶん変化した自分たちを思いながら、夕蛾は苦笑まじりにつぶやく。

「たしかにあいつは魅力的だからな。お前らの気持ちも分かる」

「ほう、それは貴様も“あれ”に惹かれているということかね?」

「ああ、そうだな。だから――――、――――って、おい!?」


夕蛾が首をぐるりと回す。
ごくごく自然に夕蛾に問いかけてきた声。
その声の持ち主は明星座の座員ではない。
行長でも餓蛇でも狐毒でも小蝉でもない、そのひとは。

「――――元親どの!? なんであんたがウチに入って会話に参加してやがるッ」


夕蛾に啖呵を切られた男は、至極堂々と慇懃に一礼してみせた。

「やぁ、明星座諸君。なかなか楽しそうな会話だね――――」



「ほ、本当ですね! どうして元親さんみたいな人格非道の商売敵がうちにいるんです!?」

「元親さん、僕と餓蛇くんを呼びもどしに来たの――……!?」

「ふざけんなよ、二度とあんたのところには戻らない。行長だってそうだ」

「そもそも勝手に入ってこないでよね、この鬼畜! 常識も知らないなんて馬鹿じゃない!?」


狐毒、行長、餓蛇、小蝉。
それぞれが敵意をむき出しにして元親をにらみつける。
かつて元親率いるハクライサーカスにおいて散々利用された餓蛇と行長はもちろん、狐毒と小蝉も彼のことは心から忌み嫌っているのだ。
ひとえに元親が夕蛾の敵だからだ。

明星座座員たちの罵声に、元親は芝居がかった口調で「やれやれ」と肩をすくめた。

「こんな扱いを受けるとは残念だよ」

「ちっとも残念そうじゃ無ェけどな」

眉間にしわを寄せて夕蛾が言う。
元親がちらりと口の端をゆがませた。

「そんなことを言ってよいのかな? 私は貴様らに有益な情報を持ってきてやったのだが」

「ふん、あんたの言うことなんざ信用できねェよ。はやく――」

帰ってくれ、と夕蛾が言う前に。
遮るようにして、元親が告げた。

「どうやら“彼女”は恋愛に興味があるようだよ?」


――――ばたばたばたばたっ!
駆け寄る四人の足音がひびいた。

「ちょっとそれどういうこと!? いや僕はあんな馬鹿のことなんて興味ないけどっ」

「元親さん、いまの詳しく頼むぜ。俺は本気だ」

「本当にあの子が言ったの……!?」

「はやく教えてください一言一句間違えずに!!!」


夕蛾の信頼すべき部下たちが、目を血走らせて元親のもとに集っている。
全員、表情が真剣だ。

「お前ら……」

夕蛾はうめくが、止められる雰囲気ではない。
元親が勝ち誇った顔で夕蛾を見ている。

いかにも、「貴様は聞かなくてよいのかね?」と言わんばかりに。

「………………くそっ」


どうやら、見抜かれている。
たしかに夕蛾も気になることは気になるのだ。
とはいえ元親の思い通りになるのも悔しくて夕蛾はちいさく罵倒する。
しぶしぶ元親に近づいた。

「……どういう話だったんだ。教えろ」


夕蛾の口にした、短い問いかけ。
それは十分元親の優越感を満たしたらしく、楽しげに「そのままの意味だよ」と語りはじめる。

「ほんの戯れに、“あれ”に聞いてみたのだ。恋人が欲しくないか、と。そうしたら、欲しくないとは言わなかった。
つまり興味があるのだろう」


「ん……?」

元親の論法に夕蛾はおもわず首をかしげる。
果たして、その反応でその結論は正しいのだろうか。

が、優秀だったはずの夕蛾の部下たちは。

「な、なるほど!」

「そうなんですね!」

「そんなことをあの子が思ってたなんて……」

「ちっ、俺が先にお嬢ちゃんに聞けばよかったぜ」


完全に元親の結論を信じていた。

「あいつら……」

情けなくて夕蛾はため息しか出てこない。
恋はよほど人を狂わせるらしい。

夕蛾の憂鬱など知らず、座員たちは素直に元親からの質問を受けていた。

「――では、餓蛇。たとえば貴様が“あれ”の恋人になったならば、どんな利益があると?」


元親の問いに、餓蛇はにやりと男らしい笑みを返す。

「そりゃもちろん、年上の魅力ってやつさ。包容力なら自信があるぜ!
なにせ俺は女のあつかいには慣れてるからな。
……夜も、もちろん楽しませてやれるつもりだ」


もっとも――、と、餓蛇が不意に幼い笑みを見せた。

「お嬢ちゃんのことは大事にしたいからな。焦る気はない。
とにかく俺はお嬢ちゃんをかわいがりたいんだ――――」


餓蛇が、慈しむような声音でそっと囁く。

「なるほど」と元親がうなずいた。
そして「だが」と言う。

「年齢で言うなら、私の方が上だ」

「いや、そういう話じゃなくて――」

言いかける餓蛇を、元親は「つまらん」と一刀両断する。
さらに「そうは思わないかね?」と夕蛾に同意を求めてきた。
仕方なく、夕蛾は「俺も餓蛇より年上だ」とだけ回答する。

「夕蛾さんまで……!」

餓蛇が子供のようにわめくが、仕方がない。事実なのだ。
元親が満足したように鼻で笑った。

「もっとおもしろいことを言いたまえ。……というわけで、行長。貴様はどうだ」

「僕?」

元親に問われ、行長は目を瞬かせる。

「僕は――……」と、なぜかつらそうな微笑を浮かべた。

「……僕はあの子の恋人になりたいとは思わない。ただ今まで通り見守っているだけで幸せなんだ。だけど――」


もし、と、行長はつぶやく。

「もしあの子の恋人になれるなら――……
そうだね、いっしょに遊んで、ふざけあって、そして――
……毎日、笑いあうんだ。
ずっと、ずっと……。
ふたりで笑顔で過ごしたい」


それが、叶うなら――。
そうささやく行長の横顔はなぜか妙に静謐で。

「……?」

何かを隠している気がして夕蛾の胸に靄のような気分が渦巻く。

「…………そうか」と、元親は短くうなずいただけだった。
それがなおさら夕蛾の不安をあおるのだが、何かを言う前に元親が話題を変えるようにして狐毒を見た。

「貴様はどうかね?」

「……彼女の恋人になれたら、ですか」

同じ質問をされることはある程度予想していたらしく、狐毒はすこし困ったように微笑んだ。

「僕は、つまらなくて下らない人間です。だから彼女の恋人にふさわしくない」

断言する狐毒に、夕蛾はとっさに「そんなこと無ェだろ!」と反論する。
けれど元親は構わずに問いを続けた。

「ならば、何も言わないのか」

「……どうでしょう」

あいまいな表情で狐毒は笑う。

「もしかしたら、言ってしまうかもしれません。そして止まれなくなるかもしれない。彼女を――――愛しすぎて」

「!」

言葉と裏腹に暗い声音。
聞いたことのない響きに、元親と夕蛾は同時に眉を寄せる。
狐毒が口をひらく。

「俺は彼女を愛しぬきます。命を懸けて、すべてを賭けて。
彼女のすべてを捧げたいんです。
そうすることでしか、俺は愛を伝えられないから」


「狐毒――……」

あまりの痛ましさに夕蛾は眉を引き絞る。
狐毒が一瞬で元通りの笑顔をつくった。

「――まぁ、そんな未来が来るとは思えませんけどね!」

「それは私の知るところではない」

朗らかなで笑う狐毒に、元親は興味なさそうに即答した。
夕蛾はちいさく舌打ちするが、いま、皆のまえで狐毒に言うことではないと判断して押し黙る。
元親の視線が小蝉に向けられた。

「貴様は?」

「! こ、恋人か!? あいつの!?」

「さよう」

なにを今更、と小首をかしげた元親に、小蝉が顔を赤くして「べ、べつに僕はあいつの恋人になんかなりたいと思わないけどっ」と宣言する。
とたん、元親が「そうか」と背を向けようとした。

「えっ、ちょ、早くない!? ちょっとは食い下がってよ!」

「なぜ私がそんな面倒を?」

「そ、それは……」

冷たい目線を向けられ、小蝉の声がちいさくなる。
やがて、ヤケのように叫んだ。

「――もう、とにかく聞いてよ! 答えるからっ」

素直でないところは誰が相手でも変わらないようで、夕蛾は苦笑を禁じ得ない。
元親はつまらなさそうに問いかける。

「私も貴様に興味はないが、まぁ言ってみたまえ。聞くだけは聞いてやっても構わない」

「なんかあんたって僕に当たりきついよね? いや、いいんだけどさ。僕も夕蛾さんやあいつをいじめるあんたは嫌いだし」

それはともかく、と、小蝉がわざとらしい咳払いをした。

「僕は好きなひとができたら何があっても絶対に守り抜くよ。
頼りなく見えるかもしれないけど、僕だって男なんだからね。当然でしょ!
……助けて、みせる」


小蝉が誓うように拳をにぎりしめる。
清純でまっすぐなまなざしに、夕蛾はまぶしげに目を細めた。


「なるほどなるほど。案外見かけによらないものだな」

元親が喉の奥でくつくつと笑う。
馬鹿にされたと感じた小蝉が元親をにらみつけた。

「そういうあんたはどうなのさ」

「私かね? 私は、そうだね――」

元親の唇がゆっくりと弧を描く。

「――――支配し服従させ隷従を誓わせる。
それが私の愛し方だ。
体も視線も呼吸さえも、私の思うままに従わせる。
苦痛を甘美に感じるまで、せいぜい調教してやろう――――」


「な……!」

底知れぬ凄みと陰惨な言葉に、夕蛾は息をのむ。
夕蛾だけではない。
質問をした小蝉は硬直し、狐毒は瞠目している。
元親に慣れているはずの餓蛇と行長でさえ、その執着の強さに蒼褪めている。
本気だ、と感じた。
元親が恋をしたら、きっと本気で実行するだろう。
なんの躊躇も慈悲も無く。

「……あんたはやっぱり、最低だな……!」

かろうじて夕蛾が声をしぼりだした。
罵声を受け、元親の視線が夕蛾を捕える。

「それでは、貴様は? 夕蛾」


こつり。
元親の靴が音を立てて。
夕蛾に、一歩近づく。

「貴様は、“あれ”に何を与えてやるというのだ――――?」

「!」


低い声が問いかける。
不思議な色の瞳が夕蛾を覗き込む。

「俺は――」


夕蛾の喉が、ゆっくりと上下した。

そもそも、こんなものはただの言葉遊びだ。
彼女が誰かを恋人に選ぶと決まったわけではない。

それでも。

それでも、夕蛾には答えることができない。
与えるのは夢か、それとも真実か。


「俺は――――――」



◆◆◆

彼女が誰を選ぶのか。
どんな恋を手に入れるのか。

今はまだ、誰も知らない。


~FIN~